なにがあろうと

お笑いのはなし

私がお笑いを追うきっかけになった芸人さんの話

もうすぐ3月が終わってしまうので、4月を迎える前に、私が今のようにお笑いを追うきっかけになった芸人さんの話をここに書き残そうと思う。

 

家族全員がお笑いやバラエティが好きだったこともあり、テレビからは自然とネタ番組やバラエティが流れるような環境で育っていた。私の住んでいる岡山県吉本新喜劇も流れる。土曜のお昼(今は日曜放送)には新喜劇を観るのが習慣になっていた。関西ローカルで流れるような番組も岡山では放送されることも多く、自然と関西に触れる生活が多かった。

小さい頃は意識して観ていなかった賞レースも、何となく記憶に残っていたりする。旧M-1はもちろん、芸人が審査していた時期のキングオブコントの記憶もある。

 

2015年のM-1、今で言う新M-1が始まった年だった。今改めて観てみると、審査員が全員M-1チャンピオンだったようで、これはこれで良い審査をしそうだなと思ったがそんなことはなかったから今の形式(レジェンド芸人が審査?)に戻っているのだろう。2015年はまだ笑御籤もなく、事前にくじで順番を決めるようになっている時だった。そんな年に優勝したのはトレンディエンジェルで、敗者復活戦で勝ち上がり、最後にネタをしてそのまま優勝している。番狂わせで面白い回なのだが、この年の4番手にネタを披露した芸人さんが私の人生を変えた。

 

「心にさされ!非情な愛のボケ」

この年、初めて決勝進出した和牛だった。

「結婚式を抜け出した花嫁」のネタで、当時は水田さんの元のキャラクターを強めに出した”ネチネチ漫才”や”へりくつ漫才”と言われるものを披露していた。その後、”和牛漫才”と称されるものになる。

この時、和牛のネタをおそらく初めて観て、「こんなに面白い芸人さんがいるんだ」と思った。自分の好みにバッチリハマった芸人さんに初めて出会った瞬間だった。ここから毎年真剣に賞レースを観ることを意識し始めた。

その次の年、2016年は敗者復活から決勝進出、お笑い好きなら知っているであろう「ドライブデート」のネタを披露した年だ。敗者復活から最終決戦まで残り、準優勝で終わった。今回の大会をきっかけにテレビなどのメディアにたくさん出るようになった気がする。

そして2017年、キャッチフレーズは

3度目の正直

私も優勝すると思っていた。ファーストステージで「ウェディングプランナー」のネタを披露し、トップ通過で最終決戦へ。最終決戦で「旅館」を披露した時、拍手笑いも多くて「優勝したやろ」とガッツポーズした。しかし、この年も準優勝だった。

2018年。「第4形態」と表された彼らは、漫才の呪いに苦しんでいたと思う。ファーストステージを2位で通過、初出場の霜降り明星が優勝し、3年連続の準優勝となった。M-1のアバンで使われるようなシーンができたのもこの年だったと思う。大会後の大反省会で水田さんが「生まれ変わらないと優勝できない。生まれ変わって相方と漫才をして『M-1』を獲りたい」と話していたのが印象的だった。

しかし2019年、まさかの準決勝敗退になった。本当に驚いた。もちろん(当時は人気投票のようなところもあったので)、敗者復活戦で勝ち上がってきたが、ファーストラウンドのネタが終わり、ネタのコメントを受ける時に、上沼恵美子が厳しい声を掛けたのをすごく覚えている。からし蓮根のネタ後のコメントで言っていたのでからし蓮根にはなんとも言えない場面になってしまっていたが、正直、すごく的を得ていると感じた。和牛は結果、順位は4位に終わり、和牛のM-1への挑戦も2019年で幕を閉じた。

 

2018年〜2019年期に、芸人雑誌も買って読んだりしていたのでいくつか書き残そうと思う。

↓2人のインタビューから↓

━━━忙しくなるぶん、ふたりでいる時間も以前より増えているわけですよね?

水田「確かに多いですね。そうなるとコンビで話し合う時間が増えるんです。だって、川西しか味方がおらんみたいな状況ですから。中には忙しなってコンビ仲に摩擦が生まれたり、悪い雰囲気になったりするコンビもいるかもしれないですけど、僕らはなってないです。」

川西「やっぱり明確な目標がありますから。それがなかったらコミニュケーションを取らなくてもいいっちゃあいいし、好きな仕事をそれぞれやればいい。けど、僕らには漫才があって、まだ『M-1』にも出られるからこそ、そこに向かってやるだけです。」

水田「僕らは一番やりたいこと、一番喜びを感じる部分が一緒なんでね。それはたまたまそうやったってことやから、すごくラッキーなんですけど」

…中略…

川西「ほんまに成長できてるんか?って思うことはあります。ただ、ネタも作り続けてますし、仕上げも一生懸命やって足を動かしている時間はあるから、前に進んでいるとは思っていますけど」

水田「僕も進んでいるとは思いますけど、まだこんなレベルのケンカすんの?っていう時もあるし、劇的に変わることはないんでしょうね。20年くらい経った時、間違ってなかったなと思えるような進み方はしたいなと思いますけどね」

↓個人のインタビューから↓

━━━今後の展望は?

川西「まあ、仲が悪くなってさえなければなんでもいいです。こればっかりはどうなるかわからないですからね。ここ3~4年で僕らコンビの関係性も、グッと変わったんですよ。それはいいようになったんですけど、色んな波があってよくない時期も来るやろうから、長ーい目で見た時に離れ切らなかったらええかなと。漫才があれば、僕らはそうならないと思いますしね。」

水田「ふたりで劇場のトリを取れるようにはなりたいですね。NGKやルミネ、祇園って吉本にいる全ての芸人がわりと出ている劇場じゃないですか。そういう全ての芸人が対象となっている場で、トリを取れるようになりたい。その日の看板芸人ですし、この漫才師を観るために来たんでしょ、みなさんっていうポジションじゃないですか。そこは目指したいですね」

2018年12月4日発行 別冊プラスアクトより

 

そんな和牛は2021年1月2日のNGKで初トリを飾っている。. 丑年。初トリ。 . #和牛 #芸人 #お笑い #お笑いライブ #劇場 #舞台 #漫才 #感染予防対策 #なんばグラン... | Instagram

 

そして、和牛は2023年12月12日、2024年3月末をもって解散することを発表した。

和牛解散のご報告 | お知らせ | 吉本興業株式会社

この日は泣きながら布団に入った。応援していた当時を思い出したりして、胸が苦しくなった。あんなに漫才しか見えていなかった2人が「苦しい」や「できなくなった」という表現に変わってしまったことがすごくつらかった。未だに嘘であってほしいと思ってしまう。

 

当時の雑誌を読んでいても分かるが、本当に”漫才”というものに取り憑かれたようだった。3年連続準優勝という呪縛が、彼らをそうさせたのだろう。M-1に出ること、漫才をすることが彼らを繋ぎ止めていた。

「漫才をしながら死にたい」や「舞台の上で死にたい」と話していた彼らは残念ながら解散という形になってしまった。だが、和牛が今までに残した功績は消えることはなく、語り継がれていく伝説の漫才師になるはずだ。そのためにもこのブログを書き残しておこうと思った。

こんなに熱中できる趣味に連れてきてくれてありがとう。周りに応援していることを自慢したくなるような芸人さんになってくれてありがとう。残念なことに私は1度しか生で観ることが出来なかったから、もっともっと和牛の漫才を観ていたかった。寂しいけれど、2人が選んだ道をこれからも応援していきたいし、もし、また漫才がやりたくなったら、その時は水田さんは川西さんを選んでほしいし、川西さんは水田さんを選んでほしい。叶わぬ願いかもしれないけれど。

4月からの2人の活躍に、輝かしい未来が待っていることを祈っている。さようなら和牛。ありがとう和牛。